東原 均

描き手の勝手な解釈で対象を歪めて描くのではなく、対象と真摯に向かい合う。敬意を持って接することにより自分の中に生まれた「何か」を絵画の中に残したいと思っている。
自分の中に生まれた曖昧な「何か」を反芻し、できるだけ整理して忠実に表そうとしてきた。その気持ちは今も確かにある。
しかし最近はそれらの幾つかの手順を省いるようだ。生まれた「何か」を整理することもなく、そのままの状態で色を選び、手を動かしている。
絵を描いているのは自分自身であるはずなのだが、何かの力によって私の手や体が使われ、描かされているようにも思える。
以前、よく山歩きをしていた。体を動かす汗をかく心地よい爽快感とやすらぎは自然という世界の中にいることによって得られていた。
山の中では、同じようなところを同じような体調で歩いていても、体が軽く浮き上がるような感じがすることもあれば、大気が重くのしかかるような感じがして、体を動かすのも容易でないこともある。
残雪の山では道がなくてもどこにでも移動することができる。普段は人が来ることもないようなところにも。鳥が歌い囀ずり樹々の枝や葉がキラキラと輝くそこは人間の気配を感じさせない。
雪の重みで不自然に折れ曲がり潰され濡れた葉が幾層にも重なりあっているだけなのだが、見てはいけないものを見てしまったと思った。

普段自分達が住んでいる、日常を過ごしている世界とは別のもうひとつの世界が存在しているように思えてならない。同じ時空を共有していると思えるにもかかわらずお互いに感知していない。しかし、自然の中にいるとその一部が、幾つかの感覚によって伝わってくる。そして向こう側からも同じようにこちら側を見ているように感じる。
忘れ去ってしまうように仕組まれているそれらの出来事は絵画制作を行っていることで私のなかに留まっている。そしてそのことについて考えさせられている。

1天空トリム1955年東京生まれ。1979年東京芸術大学大学院終了。

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