ケージとカナリア「囀るものたち」

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ケージとカナリア「囀るものたち」

赤塚祐二 個展

10月14日(土)〜11月5日(日)
13:00 – 19:00 (月休)

オープニンレセプション10/14 17:00~19:00

芸術的表現を追求する過程を、捉えるのが難しい「カナリア」にたとえ、それを表すスケッチブックを「ケージ」として制作された今回のシリーズ。深遠な色使いと魔術的とも言える不思議なパターンで繰り広げられる赤塚芸術の世界をどうぞご高覧ください。

1955       鹿児島県に生まれる
1979       東京芸術大学美術学部油画専攻卒業
1981       東京芸術大学大学院修士課程修了
現在 武蔵野美術大学油絵学科教授

<アーティスト・メッセージ>
ケージとカナリア「囀るものたち」

 毎日を過ごす。日が昇り、日が暮れ、変わらぬ繰り返しのようだが、その日ごとに何ごとかをなし、戸惑いながら身を投げ出すように判断を下す。筆にたっぷりの水を染みこませ、チューブから絵の具を絞り出し、スケッチブックに無造作に筆跡をつける。ある程度絵の具を着けたらその作業は終わり。一呼吸かふた呼吸の仕事量。その間の勝負。筆の動き、水の量、絵の具の色が紙に定着する。スケッチブックを変えて同じことを何度も繰り返す。何も起こらないし、何かを起こそうとも思わない。絵の具が乾いたスケッチブックを見ては描かれた筆の跡に反応して、同じ行為を繰り返す。スケッチブックを換えてまた同じ行為を繰り返す。僕のなかの遠いところで絵画への要求が渦巻いているが、容易に近づけない。閉じられたスケッチブックを開けると何回目かの繰り返しの画面が現れる。行動を起こす時が来たことを感じ、太くて濃い黒や紺の強い筆触で何ごとかをつかもうとする。後には引けないほどの強い痕跡が僕を奮い立たせ、この機会を生かそう、必死に捉えようとするが何を捉えようとしているのか容易にはわからない。結局何もわからないまま黒い塊を画面のなかに抱えてしまう。ある時スケッチブックを開くと乾いた黒い塊に出会う。これが何なのかようやく僕は気づく。画面の上の黒い塊は僕の懐かしい課題だったことを思い出す。またやりとりが始まる。
この、つかまえようとしては手放してしまう闘争の繰り返しを、今回は僕の手作りのケージのなかに入れてみようと考えた。ちょっとぎこちないその姿は僕の絵画の成り立ちを反映しているのかもしれない。僕のなかでケージとは、このドローイング行為を受け止める支持体そのものを指し、カナリアはドローイング行為の果てにようやくつかまえた僕にとっての新鮮な絵画だ。今回の試みは、「ケージに入れられた絵画全体のその姿までを絵画の範疇としたい」という考えから発している。
ティル・ナ・ノーグという発表の場を得て、新しい絵画の囀りに耳を傾けたいと思う。

  ”夢のなかにいる私のなかのことり
夢のそとにいる私のそとのことり” (西元直子)